コラム120 ~「ぴろし」と呼ばれていました

コラム120 ~「ぴろし」と呼ばれていました

投稿日時:2023年8月15日

 親戚の法事で、日曜の昼間に親戚の家に居ました。
テレビでは、「のど自慢」をやっていました。
何年?何十年ぶりかに視ました。

 『NHKのど自慢』は、公開視聴者参加型の生放送の音楽番組です。
1946年の放送開始以来(テレビ放送は、本放送が開始された1953年から)、長き(70年以上)にわたって放送されている長寿番組です。

 子供の頃は、日曜日の昼間にテレビを見ることもあり、周りの大人たちはみんな「のど自慢」を見ていたので、昔はよく見ていた記憶があります。

 久々に見たら、昔とかなり変わっていました。
今年の4月2日より、ステージが全面リニューアル(全国統一)され、アナウンサーは男女2人体制(女性の総合司会は史上初)になっていました。

 なにより、生バンド(生演奏)がなくなり、カラオケに切り替えられました。

 これには、当初批判も多くあったようですが、出演者(シロウト)はみんなカラオケやCDで練習しており、本番の生バンドに合わせるのが難しいこと、最新の若者に人気の曲は生バンドでは演奏が難しいこと、地方ではミュージシャンの確保が難しいこと、などより、しょうがないようです。
これも、回数多く見ていけば、慣れていくのでしょう。

 出場者は様々で、中にはプロ歌手を目指す人もいて、後にプロ歌手やタレントとしてデビューした人も、過去には沢山いました。

 代表的なのが、「美空ひばり」です。1946年(昭和21年)、9歳時に出場しましたが、鐘1つ(不合格)でした。「子供らしくない」「非教育的」が、不合格の理由でした。
その他にも、「北島三郎」(鐘2つ)、「五木ひろし」(合格)、「森進一」「島倉千代子」(鐘2つ)、「三山ひろし」(優勝。当時はまだ「けん玉」はやっていませんでした。)、「三橋美智也」(明治製菓・カールのCMソングで有名)などがいました。

 歌手にならなかった人も沢山います。列記しますと、
「里見浩太朗」・・当初は歌手を目指していた、ご存じ5代目・水戸黄門。
「倍賞千恵子」・・幼少時は、「のど自慢荒らし」と呼ばれていました。
「京塚昌子」・・肝っ玉かあさん。子役の杉田かおるがおなかの肉をつかんだことで激怒し、降板させたエピソードがあります。
「遠藤実」・・日本を代表する作曲家。鐘は1つでした。
「坂上二郎」・・優勝し、歌手を目指すも断念。コント55号を結成。
「牧伸二 」・・ウクレレ漫談家。泉ピン子の元師匠。声帯模写で10回出場し鐘1つ、漫談で鐘2つでした。昔は、歌以外の芸事での出場もありました。「あ~、やんなっちゃった」と自殺。

 ウクレレ漫談といえば、現在では、この人です。「ぴろき」

 実は、「ぴろき」は、私より若いのでした。(59歳)
 「あ~、あ~あ、驚いた」(牧伸二)